Jul 03, 2009

手で書くこと

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子どもの頃から、手で何かをするのが好きだ。ちょっとしたプリミティヴな、もしくは伝統的な道具を使うのもいい。簡単なナイフで鉛筆を削ったり、彫刻刀で木を彫ったり、ロットリングと定規で細い線を何本も引いたり、大根を桂むきしたり、包丁を研いだり。上手か下手かはともかく、短時間であっても手作業に没頭するのが幸せだった――もちろんいまでも。

20代初めの頃、わたしはワードプロセッサを自分のために買うことにした。会社には共用のワープロが何台もあったのだが、自宅にも1台あれば仕事を持ち帰ったときに効率がいいというのが、たぶん最大の理由だったと思う(なんと仕事熱心なひとだったんだ!)。
昔ピアノを習っていたし、独学で英文タイプも打てたから、ローマ字入力ならわけなくできた。左右五本の指をそれなりにすべて使いながら文章を書く(打つ)ことは、鉛筆やペンで書くのとは別の快感をもたらした――もちろんいまでも。

ただ、自前のワープロを買う前に

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Jun 03, 2009

行きつ戻りつ。遅すぎたり早すぎたり。水星逆行の日々。


visible air 可視微風, originally uploaded by ya ma.

西洋占星術では、知性、そして交通や通信などを司るとされる水星。その水星が地球から見て逆行する期間は、コミュニケーション、交通や通信に乱れが生じる、とされている。たとえば、ダブルブッキングがあったり、急に約束が反故になったり、電車が遅延したり、待ち合わせの相手(あるいは自分)が約束の時間に遅れたり、PCが故障したりする。最近では5月7日から31日までがその期間だった。で、どんなことが起こるかというと――

[5月のわたしの場合]
友人の訃報が入ったとき、猛然と新しいキャンドルがほしいと思った。キャンドルの灯りというのは心を落ち着かせてくれるし、どんなに高価なキャンドルであっても、灯して蝋が尽きれば終わるという消尽する感じが、この生を駆け抜けた彼女を偲ぶのにぴったりだと思ったのだ。

そういえば、と思い出したのが、少し前に読んだ人気作家の小説に出てきた、あるキャンドル作家の名前だ。キャンドル作家という仕事があるのだと、その小説で初めて知った。それを読む限り、なんだかとても素敵なキャンドルに思えたので記憶に残ったのだった。
友人の葬儀の前日、ウェブで実物を探してみたら、さらに心惹かれた。どこで買えるのかと思ったら、ちょうど葬儀の会場から仕事場に行く途中といえなくもない場所に直営店があるらしい。ウェブサイトにあった地図をプリントアウトし、(途中少し歩かなければならない場所なので)より詳しいgoogleマップもプリントアウトし、葬儀に参列したあとまっすぐ向かえば、仕事にも間に合うことも確認した。念には念を入れ――何しろ水星逆行期なのだから。

生前、亡くなった友人と待ち合わせすると、いつでも彼女のほうが先に約束の場所に着いていて、わたしはあとから到着した。約束の時間に遅刻したことも1回や2回ではないと思う。だから葬儀にだけは絶対遅刻すまいと、わたしはへんに張り切っていた、いや緊張していた。多少、電車が遅延しようとも、絶対に遅れないように早めに家を出た――何しろ水星逆行中だから。

葬儀当日。午前中の光を久々に浴びながら、そして5月にしては妙に強い風に髪をなぶられながら、わたしは知らされていた開始時刻11時よりもかなり早めに会場に着いた。そのせいか、人影はまばら――いや、奇妙なほど人影がなく、黒い服を着た関係者、会葬者らしき人間はひとりも見えない。あれれと思って寺の受付にいた僧侶に尋ねてみたら、「葬儀は1時からですよ」と言われた。どの時点でか、勘違いしてしまったのだろう……。ああ。やっぱり水星逆行……。

キャンドル屋さんは、1時開店だからまだやっていない。それより、1時から葬儀ということは、いま何かお腹に入れておかなければ最悪の場合23時まで食事ができないかもしれない(汗)、という恐怖に駆られたわたしは、結局軽く早めの昼食をとってから葬儀に参列することにした。葬儀の終わり時間によっては、キャンドル屋さんに寄るのは諦めなければならないかもしれないが……。

ともあれ、勘違いのおかげもあって、葬儀がほんとうに始まる1時前には遅れることなくきっちりと到着できた。儀式もほとんど終わりに近づいた頃、届いた弔電がいくつか読み上げられた。そのうちの一本が、くだんのキャンドルの登場する小説を書いた、あの人気作家からだったのは奇妙な偶然なのだろうか。そうか、故人と交流が続いていたのかと思う一方で、その紋切り型の電文にはやや白けた気分を味わわされた。

結局、その日は予定とは別の経路でまっすぐ仕事場に向かった。つまり、キャンドル屋さんには寄らなかった。少し時間の余裕があったので、仕事場で軽くつまむ食事と、夫と食べるおやつを買うため、途中の駅ビルに寄った。そのとき、なぜか亡くなった友人に「そのキャンドルは買わないで」といわれたような気がした。
小説家の弔電が紋切り型だったからではないだろう。キャンドルがよくないわけでもないだろう。しいて言えば、「そんなふうにお金を遣わないで」というニュアンスだったような気がする。

そこで、わたしは芍薬の花を買った。花もキャンドルと同じように時間とともに滅び消えてゆくものだけれども、そこには「作家性」がない。たぶん、このほうがいいのだ。彼女のためには。そして、家にあるただの蜜蝋キャンドルを灯そう。
どこかの田舎の名もない「おばさん」が、名前も知らずに育てた花々が、ほとんど野草のように生い茂っている。最初からそこに生えていたかのように――そんな情景をほんとうに何気なく、それでいて誰よりも凄い写真として残した彼女のために。

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May 27, 2009

世界は、いつ、変わるのか


into the light, originally uploaded by ya ma.

ひとは、他者を通してしか自分を見ることができない。死を通してしか生を見ることができない。先週、友人のSが亡くなってから、そんなことをつらつら考えている。

Sとわたしのファーストネームの読みは同じ「Y子」なのだが、彼女はわたしをY子ちゃんと呼び、わたしは彼女の姓をSと呼び捨てにしていた――彼女のほうがふたつも年上なのに。彼女の姓はれっきとした日本の名前なのだけれども、凡庸なわたしの姓と違って、どこか記号のような響きをもっていた。おそらくそのせいで、多くのひとが姓を呼び捨てにしている意識もなく、彼女のことをただSと呼んでいたのではないだろうか。

いっときは同じ組織に属していたが、彼女とわたしの部署は近いようで遠く、お互い下っ端で忙しかったこともあり、あまり交わることがなかった。よく話をするようになったのはむしろ、彼女もわたしも組織を離れ、それぞれフリーランスで仕事を始めてからだったと思う。同じ組織に籍を置いていた頃よりもずっと、似た立場の者どうし、共感したり憤りをぶちまけたり励まし合ったりしながら、けっこう深い話もするようになった。

組織を辞めたあと彼女は写真家となり、わたしは作家をはじめさまざまな表現者の話を聞く仕事をしていた。会うたび彼女に訊かれた――最近何か面白い本読んだ?
その問いに、こちらは答えられたり答えられなかったり……。最後に紹介したのは、西村賢太『どうで死ぬ身の一踊り』か老松克博『サトル・ボディのユング心理学』のどちらかだったと思う。そのくらい、いやそれ以上の幅で(つまり、わたしよりも広く)数多くの書物をばりばりと読み倒す読書家であり、読むのと同じかそれ以上に思索する、さらにはその思索に基づいて行動したいとつねに思っているような人物がSだ。

おっとりしているように見えて、せっかちで、前のめり。

先週の金曜日、そんな彼女の死が信じられないまま、葬儀の営まれる寺にわたしはいた。そこで「最近何か面白い本読んだ?」に並ぶ、彼女の口癖を思い出していた。

「いちどでいいから、世界が変わるのをこの目で見たいの」

……

S、あなたは世界が変わるのを見たの? もしそうならそれはいつ、どのように訪れたの?

その答えは、もう聞けない。
そして、世界が変わるのか変わらないのか見届けるという、およそわたし「らしくない」宿題だけが残った。

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Apr 10, 2009

poetry book 個展のお知らせ

Rimg1081a_800展覧会のお知らせをひとつ。
この記事を書こう書こうと思いながら、春風邪を引いたりしてすっかり遅くなってしまったことをお詫びしたい。会期は明日までとなっている。

ナムーラミチヨ個展
poetry book Art - Exhibiion by Michiyo Namura
4/11まで GALLERY PLATFORM STUDIO (銀座一丁目)

ミチヨさんはイラストレーター、コンセプチュアル・アーティストであり、故三橋敏雄門下で自由な俳句もたしなんできた女性。わたしがまだひよこのときから、母/姉的な懐の深さで可愛がってくださっている、尊敬すべき先輩。反戦ウォークで一緒に歩いたこともある:)
三橋敏雄の句に関しては、『三橋敏雄俳句いろはカルタ』なる興味深い作品がある。ミチヨさん選の三橋俳句いろは48句にイラストをつけ、カルタにしたもの。美しい箱根細工の箱とともに展示されたお披露目展も見に行った。愛すべき三橋敏雄的宇宙がそこにはあった。

一方、わたしにとってはいまは亡き駸々堂から出ていた『レストランへつれてって』の著者としての仕事も忘れがたい。これは、フレンチレストランでの食事を初めて体験するひとに向けた、やさしい手ほどきのイラストブック(見田盛夫監修)。過剰に緊張しなくていいけれど、少し背伸びをして、少しオシャレをして、ちょっとだけマナーを知って、より素敵な夜を楽しみましょう!というコンセプトがすばらしい:)
飲食の仕事にたずさわっているいまだからなおさら、版元が倒産したためにこの本が絶版になってしまったのは残念なことだなあと思う。

ミチヨさんのイラストは、自由で、気持ちよく伸びる線で描かれたものが多い。今回の展示"poetry book"(未見なので案内ハガキから想像するだけだけれど)も、"Are you happy?"とか"I am hungry"といったフレーズから喚起されたイラストを、本の形にしたものが展示されている(らしい)。

ワンフレーズあるいはワンワードコンセプトからイラストブックを作るのは、わたしが記憶する限り20年以上も前から彼女が一貫して追求している創作スタイル。絵とことばの間を貪欲に泳ぎ回るナムーラミチヨというアーティストの、もっとも身近で気軽な創作物と言えるだろう。おかしくて切ない、ちっちゃな人間の営みと壮大な宇宙が、何気ない(しかし周到な)数本の線によってつながってしまう――そんなダイナミズムを感じてほしい。

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